夜歩く

---どこまで歩けばお前に会えるだろう

妙な考えだ。ここは屋敷の敷地の中で、オスカルは眠っている時間だけれど、朝になればまた会える。なぜこんな風に考える?

彼女の気に入りの馬の調子がよくない。だから夜明け前に起きだして様子を見に行った。馬は気配に目を覚ましたが首筋を撫でるとおとなしくなった。息遣いも楽そうで目も濁っていなかった、これなら大丈夫だろう。厩舎の暗がりから出ると、空に雲は出ているものの庭はぼんやり明るかった。夜半過ぎに降った雪が、ところどころ積もっている。冬の凍てつく寒さの中で、皆が寝静まった時間一人歩く。

朝、顔を合わせたら馬のことを伝えよう。オスカルはほっとして微笑んで、それからまたいつものように、どこか遠くを見るような表情をするだろう。あの馬は伯爵から贈られたものだ。その話をすれば伯爵の名前を思い出す、そして・・。
少し震えた。寒さのせいではなかった。彼女自身はまだ気づいていない想い。でもそれは見ている者にはわかる。少なくとも俺は気づいている。誰も知らなくても俺だけは知っている。

何時の間にか足を止めていた。俯いたまま動けない。息が白い。このまま立ち尽くしていては凍ってしまうな。そう自嘲して足を踏み出すと何かが割れる音がした。霜柱だ。氷の砕ける音が星が割れた音みたいだとむかし彼女が言った。朝の太陽が氷を溶かす前に、二人して歩くと足元で乾いた音がする。庭のあちこちで薄く氷の張った場所を見つけて遊んだ。木の枝に積もった雪を、どちらがたくさん揺らして落とせるか競争した。
あのころと同じように庭の土は凍り、木々にうっすらと雪が積もっている。でも幼かった俺たちはいない。二度とあの時間は戻ってこない。無垢だった時間は失われた。もう二度と---この想いを知らなかったころには戻れないんだ。お互いに。

俺は再び立ち尽くしていた。戻らないあの時間の中で、俺は今いる場所を想像すらしなかった。彼女が大好きだから大切にしようと、そう心に思っていたころには。想いがこれほどまでに胸を裂くものだと知らなかった。手を伸ばしても届かぬものがあることを。

小さく、星の割れる音がした。足元に小さな氷が張っていたのに気づかなかった。どんよりと空を覆っていた雲が途切れ、薄い月明かりに庭が浮かび上がった。俺は凍った地面を歩き出した。踏むたびに乾いた音が夜の庭に響く。

オスカル、お前に会いたい。このまま歩けばやがて深く凍てついた夜も明ける。お前も目を覚まし、いつものように東向きの窓辺に立つ。歩き続けてお前に会えるなら、会ってこの想いを告げることができるなら。何処まででも歩いていくものを。
俺はひとり夜歩く。幼いときは二人笑いあって走ったこの道を。これからずっと一人で歩んでいくのだろう。

この道の先のどこかで---お前は待っていてくれるのだろうか。