新雪

雨が降っているんだな、と思った。昨日までは雪だったはずなのに、急に暖かくなったんだろうか。でも確かに雨音が聴こえる。窓の外の樫の木が葉を揺らして歌っているのも聴こえる。でも、なんだか変だ。あの木はあんなに大きかったっけ?窓の外に見える風景は何処か違っている。

どうしてだろう、そう考えていたらノックの音がした。返事をすると自分の声もおかしい。混乱している僕の部屋に誰か入ってくる。とても綺麗な・・・金髪の。待って、これは。
「起きていたのか、アンドレ」
その人の声は外の雨のようにしっとりとして、耳に心地よく響く。
「傷は・・痛まないか」
伏し目がちに僕を見下ろす瞳。青い、何処までも深く青い。僕がよく知っている。
「もう大丈夫だよ、オスカル」
自分が言ったはずの声に驚いた。そして目の前の綺麗な人がオスカルだと知っていることも。
「お前の方こそ、傷が・・」
僕は手を伸ばす、僕の意志ではなく、大人のこの身体の持ち主がオスカルの右手を取った。ブラウスから包帯が覗いている。オスカルが僕の-この誰かの-手を取ると濡れた、泣いていた。
「あの時・・倒れていたお前を見つけるまで。死んでいるのではないかと・・」
そう泣くオスカルを僕が-彼が-抱き寄せた。ごめん、オスカル。そう言ったのは僕も同じだった。泣いているオスカルを、ことに僕のことで泣くオスカルを見るのは、つらい。

お互いの傷が痛まぬように、そっと抱き合ってるんだとわかった。柔らかくて長い金髪を彼が優しく撫でている。雨はまだ小さく降り続いているようで、どうして僕が此処にいるんだろうとか、雪が降っていたはずの日からどれくらい経っているんだろう、と浮かび上がる疑問も、雨の音とオスカルの呼吸の音が混じりあったリズムの中に溶けていった。

そしてオスカルが少し身体を起こして、彼の左目の上にキスをした。眼を閉じた右目の裏は不規則な光の残像があるのに、左側には何もなく闇のままだ。
「これ以上、お前に傷ついてほしくないのに」
見下ろしているオスカルの瞳が哀しげに揺れている。
「傷ついてなど、いないよ」
彼の声は優しい。
「お前が腕の中にいるなら、なんであれ傷ついたりしない」
ああ、僕はずっと変わらずオスカルが好きだったんだと思う。喧嘩したときもあったけど、それからどれほどの年月が経っても変わらずに。身体の痛みは確かにあるけれど、オスカルが泣くことより痛くない。抱き合っているオスカルの柔らかさがあれば、全て癒えていく。雨の音に塗りこめられて、二人きりでいれば。

「・・オスカル」
彼のー僕のー声が呼びかけるとオスカルが微笑む。暖かな唇がそっと重ねられる。ひっそりした雨と薔薇の香りがする。ああ、オスカルも変わっていないんだ。薔薇が咲いていない冬でも、何処からか香りがしていた。ほら・・また雪が降り出したよ。きっと一晩中、降り積もる。明日になったら、誰よりも早く起きて二人で新雪の上を歩こう・・。
「アンドレ・・眠ったのか」
オスカルの声も雪の中に吸い込まれる。雪の積もる音がする、僕を眠らせる、雨ではなく・・雪の---。

 

オスカル・・明日また、会おう。

 

END