ばらの花

こんな夢を見た

森にいる。視線が随分と低い。たんぽぽの花がすぐ前にある。匂いを嗅いで、口に含んでみる、噛みしだいて食べる。ふわっと風が顔に当たって、一瞬目を閉じ開くと、一匹の白い兎が目の前に、いる。鼻をひくひくさせながら、たんぽぽの葉を噛んでいる。それからちょっと土を掻いて、小川のー水の音がするーほうへ走って行こうとして、振り返る。

こないの?そう言っているのだとわかる。走って追いつく。地面を蹴る時、草や小石が足裏にあたる。少し痛いけれど、小川まで一緒に行かなくては。風は暖かく、飲む水も喉に心地よくて、もう夏が近いことを知る。流れの緩い小川に二匹の兎が映っている。水を飲んでいる白い兎、それを見ている黒い兎。

白い兎がまた走り出す。森のひらけたその先、古い大きな樫の木がある。根本のうろが昼寝の場所だ。小高い丘で周囲を見渡せて、大きな獣が近づくとすぐ見える。空から降りてくる嘴の鋭い鳥も、樹の枝影で兎を見つけられない。いつもここで一緒に昼を過ごす。空に星が瞬く頃、遠くの梟の声を聞きながら、夜も巣穴で一緒に眠る。黒と白の長い毛がふれあい、小さな穴の中はお互いの体温で暖かい。

朝になる。繁みに駆けてゆき、柔らかな草を選んで喰む。白い兎の口の周りが少し緑に染まって、でもすぐ小川の水で流れてしまう。黒い兎は自分が黒い毛だから、きっと緑にはならないのだろうなと思う。白い兎の白い毛並みがとても綺麗だとも。

二羽の兎は繁みから繁みへと走る。夏が近づく時期、若草の香りは瑞々しく、頬にあたる風も柔らかい。そして、緑の濃いひとつの繁みの前で立ち止まった。

そこは、若草より一層芳しい香りが満ちていた。秋の果実の匂いではなく、もっと別の。甘い香りの中に、酸っぱいような匂いもする。いつも兎たちはその香りに誘われ、そして近づけないでいた。低い繁みのその枝々には、小さな棘が無数にあった。だから葉は食べられなかったし、芳しい香りを頭上から振りまいているその花も、手が届かない。

黒い兎は、その花の色・・薄く淡い明るい色が、白い兎のゆらゆら揺れる耳の内側と同じ色だと思っていた。怒ったり喜んだり、その度にいろんな形に動く、淡い色の長い耳。あの花・・白い兎の耳に飾ったらとても綺麗なんだろう。陽に透けて、きらきらするんだろう。
取りたかった、摘んで白い耳に差してみたかった。でも棘は、兎の手や眼も容赦なく刺せるほど鋭い。

名残惜しそうな黒い兎を、あっちに行こうよと白い兎が誘う。綺麗だけれど、良い香りだけれど、あの繁みはとても危ない。黒い兎が痛いことになるのは嫌だった。いつまでも小川で水を飲んだり、互いの頭を枕にして眠ったりしていたかった。

ある朝、白い兎が目覚めると黒い兎はいなかった。驚いて巣穴から出る。たんぽぽの丘に行く、小川に走る。でもいない。白い兎は走って走って、棘の茂みの前に来た。そこに黒い兎がいた。いつも白い兎より高く飛べた脚も、驚くとまんまるになった黒い瞳も、傷ついて横たわっていた。
どうしたの?どうしたの?白い兎が顔を必死に舐めると、黒い瞳が開いた。そして横たわる前足の下にあった、花を口に咥えた。

・・綺麗だろう。君にあげたかったんだ。君の耳と同じ色だよ。ねえ、耳に差してごらん、そうか自分じゃできないね、ほら。とても似合う、とっても・・綺麗だ。白い兎の瞳が真っ赤になった。

白い兎の毛並みの中に、小さな花がたくさん咲いた。黒い兎の傷を小川で洗い、二羽で川面に姿を映した。初夏の太陽が水に反射して、二人の姿も光る。黒と白と赤い眼黒い瞳、淡く淡く香って揺れるーーー薔薇の花。

 

 

END

 

イラストはrdsさん提供 →rds X