お詫びとお知らせ

映画公開されましたね。早速ご覧になった方もおられると思います。私は明日見に行く予定です。 午前中、GQuuuuuuX、午後にベルばら。映画のハシゴなんて30年以上やってないのに無謀かな。

 

さて、かねてからお知らせしていました「シリーズ怪物」完全版について。

発行は2月中になります

年末予定が一月末になり、重ねての延期で誠に申し訳ありません。

まず表紙挿絵をお願いしているrdsさんが、体調崩されています。全て書き下ろしで表紙含め30頁以上ありますので、スケジュール的に今月は難しくなりました。また私も何度か試し刷りしながら、レイアウトや諸々調整しまくっているので、その分後ろにずれ込んでいます。

二十年かかった作品でもあり、rdsさんの絵やレイアウト等々含め、納得いく本にしたいと思っています。お待たせするばかりで心苦しいですが、今しばらくご猶予いただきたく、よろしくお願いします。

皆さんに手に取っていただいて、喜んでもらえる本にしたいです。もうしばらくお待ちくださいm(_ _)m

「世界が明日終わるとしても」表紙; rds

*その間せっかく時間あるので、完結のその後のスピンオフとか・・書けたらおまけとしておつけします。頑張ろ。

 

アニばら語り 従う発言

 

オスカルの従う発言。これもまた物議を醸している台詞。これを男性監督による男性への従属であると捉える向きも多いですが。私は別の捉え方をしています。

あの言葉の意味は「あなたに全て委ねる」ではなく「あなたを信頼する」ということなんです。
例えるなら、戦場で生死ギリギリの状況になった時、この人の信義なら信じられるという相手。アラン達はオスカルをそのように信じ、オスカルはアンドレを共に戦う人として信じている。

オスカルはどれだけ愛されたとしても、相手に人生も判断も全部委ねることはしません、それは依存です。依存ではなく、信頼。アラン達もオスカルを信じていますが、人生まで委ねていないですよね。それと同じ。オスカルはアンドレの見ている世界、望んでいる未来を信じたんです。

 

お前の見ている未来に私も行きたい、だから道を指し示してくれ。そこに到達するために「従う」人生を委ねるのではなく、共に戦うために。

 

それはオスカルの心からの望みで選択でしたし、その時のオスカルが身分の上下、男女の権力差というものに囚われていたとは思えません。ただ愛し信じた。

ではどうしてオスカルはアンドレをそれほどに信頼したのか。それはまた別で語ります。長いですがw

 

アニメの時代背景

 

夜の呟き 水の中

こんな風に 人を愛するとは思いもしなかった

彼女が言う

そうだね まるで水の中に引き込まれるように
水面に手を伸ばすように 愛するとは思いもしなかった

でもより深く引き込まれ
とっくに息もできなくなっているのは俺

それでも お前の前では息をしているふりをする
俺の方が深いから 息をするふりをするのが上手くなったんだ

少しずるいけど 許してくれるだろ
多分俺のほうが少し 深く愛しているから