肖像

「私なら貴方は描きませんね」

ぶしつけな言葉も目の前の男が言うと不思議と嫌な感じは受けない。久しぶりに訪れた王妃様の少人数のサロンには、見慣れぬ画家がいた。私がムッシュコルデに絵を頼んだことが話題に上り、件の画家は少し笑いながらこう言ったのだ。

「それは何故です」
部屋の一角にその画家の描いた女性像があった。イタリアの伯爵夫人の肖像画だという絵は、視線はどこか遠くを見つめ、口元には曖昧な微笑が浮かんでいる。そして・・におい立つように美しかった。見る者を落ち着かなくさせ、その女性にふと触れたくなる。つけているはずのコロンの香すら漂ってくるようだ。

当然サロンはその絵のことでもちきりだった。モデルはどのような人物なのか、女性の美しさのどこに惹かれたのか。矢継ぎ早に質問が飛ぶ。だが画家は殆ど笑って答えない。そのうち話題は絵画全般のこととなり、私の肖像画のことも誰から伝わっていたものか、話が出た。

「私は多分、ムッシュコルデとは違うのです。私が描きたいのは・・」
画家は言葉を切り、表しきれない言葉を補うように右手を盛んに動かした。
「純粋な美です。モデルの胸元から滲み出す、美そのもの。それ以上もそれ以外もいらないのです。純粋に美しいものは見るものを受け入れるのです。そのため裏側は空虚でなければいけない・・わかりますか」
「大方は。私があなたのモデルに相応しくないことは、はっきりしていますね」
向かい合って語る画家の物言いに、私は口元をほころばせた。何重にも塗り固められた社交の言葉とは違う率直さが好ましかった。

「無論この絵の伯爵夫人にも自我があり、怒り、悲しみ喜びや愛といったものを持っていました。しかし彼女は類稀な美しさの中にそれらを押し込めていた。美しさのみが人に衝撃を与え、彼女に席を譲らせることを知っていたからです。自らが生きて動く陶器の人形であることをわかっていた。だから私はこの女性を描きました」
画家は背後の絵を振り返った。画家の言葉どおり、横顔の顎の線から胸元にかけての真珠のような白い肌から、美が溢れ出ていた。誰もがその膚に触れたいと思うだろう、彼女自身の意思とは関係なしに。

「純粋な美・・それは年月とともに失われていきます。私の手元にこの絵があるのも、モデル自身が手放したからです。若い日の完璧な美しさを失った女性が、それを絵の中に見ることが耐えられなくなったから。しかし、あなたは違う」
「私も人間です。じきに老いていくでしょう」
「そうではない。わかっておられるでしょう。貴方の美は貴方の心臓の中に、その強い自我の中にあるのです。貴方の美しさは人を受け入れる類ではなく、崇め畏怖されるものです。貴方の美は見るものを拒む強さがある。そして強いだけに失われない。きっと老いても・・死の瞬間まで輝きを放つのでしょう。
私はムッシュコルデが羨ましく、また同情を禁じえません。貴方を描ききるのは・・本当に大仕事でしょうからな」
画家は肩をすくめ笑い出した。私もつられて微笑んだ。

「肖像画の依頼は取り下げたほうがいいのかも知れませんね」
「いえ、ご冗談を。生涯で最大の作を描く機会をなくしたら、ムッシュコルデが憤死しますよ。私が恨まれて刺されるかもしれない」
私はひとしきり笑った後、もう一度絵を見つめた。伯爵夫人はこの絵以外決して肖像画を描かせなかったそうだ。生涯唯一の絵。
「生涯の作・・ですか。そうですね、私にとっても・・」
これまで肖像画は殆ど描かせたことはない。私自身が依頼したとき、画家も周囲も驚いたものだ。何かを残さねばならないと思ったわけではない。ただ・・・・。

画家は指を組み、何か言いたげにしていたが結局沈黙したままだった。私は思いのほか時間をすごしてしまったことに気づき、立ち上がった。
「お会いできてよかった。大変楽しい時間でした。まだ暫くフランスに滞在されますか」
「来月にはスペインに発ちます」
「では、もうお会いすることもないでしょう。私も軍務が忙しくなります」
「そうですね・・ああ、でも」
「なにか」

「私がもう一度、フランスに来たとき。その時は、貴方を描かせていただきたい」
「私がモデルでいいのですか」
「先ほどの、貴方の表情を見て描きたくなったのです。画布だけに残る美ではなく、揺ぎ無い美しさを描くのも画家の役目ですから。約束してください。いつか」
「・・わかりました。こんどお会いすることがあれば必ず」
いつか・・。約束が叶えられるのか誰にもわからない。そう思ったが口にはしないでいた。
「絵は・・未来へ残るものです。だから必要なのです。ジャルジェ准将。きっとお会いしましょう」

王妃様に辞去の挨拶をし宮殿を去るとき、画家はオールヴォワールと言った。未来に残すための絵を、彼が描いてくれる日があれば・・。夢のまま終わるとしても、それが希望と呼ばれるなら、私はその日を待とう。希望は美と同じく、輝いているものなのだから。

END