蛍の木

私の書いているこの手紙は、私自身と神以外には読まれることのない手紙です。私は書き終えたらこれを燃やしてしまうでしょう。今年の秋は早く、10月だというのに早朝は息が白くなります。私は暖炉に火をおこし、この手紙を火にかざします。私の手を離れた紙片は、一瞬の後に黒い塊になり、煙が天に昇るでしょう。それがどうか・・・・・に届きますように。

 

今朝、まだ暗い時間に眼を覚ましました。目覚めてから暫く、私は自分が何処にいるのか判りませんでした。煤けて黒い天井が見えてくるにつれ、私が獄に繋がれ、今日が処刑の朝であることを思い出しました。私は気づくと、胸の上で手を組んだまま、涙を流していました。

目覚めるまで見ていた夢の中で、私は川のほとりにいました。夏の長い一日が終わるのを待って、私は息を潜めています。

夏の日差しを含んだ草はまだ少し湿って暖かく、地面に座り込んだ私の足元が湿ってくるのを感じます。やがて、あたりが薄闇に包まれるころ。どこからか、小さな羽音が聞こえてきました。水面に月とは違う、暖かな光が揺らめいて映り、手を伸ばしても、光はつと離れ遠ざかります。月の白い光。蛍の揺らぐ灯り。言葉もなく見入っていました。私の傍らに誰かがいて、優しい声で呼んでいます。振り返って笑うと、その人も微笑みました。月光より透明な微笑み。蛍が周りを飛んで---

あれは私の記憶でしょうか。

瞬く光の乱舞の中で、微笑んでいた人は・・・確かに彼女でした。一陣の風が吹き、木々が揺れました。揺れる金髪に光が集まり、彼女の姿はその中に霞んでいます。風がおさまると、蛍たちは川辺の木に集まり、私達は夜の闇に浮かび上がる光の木を見つめています。川の音と甘い風の匂い。

あれは私ではなく、あの子の記憶です。

たった七つで逝ってしまった私の愛しい子ども。病に侵される前の年、ヴェルサイユを離れて森に行った。あの時、彼女もあの子の傍にいてくれた。蛍を優しく手に包んで、あの子にそっと渡してくれた。あの日に戻れるなら・・あの子の病が、せめて私に移せるものだったら、どんなにか・・。

あんなにも幼かったのに。最後の数ヶ月はとても苦しんで。私はどうすることもできなかった。あの子の苦しみをこの身に代えて欲しいと、十字架の前で慟哭し跪くことしかできなかった。あの子の最期に夫が彼女のこと--オスカルの名前を出すと、一瞬表情がよみがえり、何かを追うように手を伸ばしました。

思えば、それが今朝の夢だったのです。蛍の乱舞する光の木。その記憶が、死を前にした私の中に浮かんできたのでした。

あれから私はたくさんの過ちを犯してきました。どこかで道が違っていれば、夫も私も、そして、残された子ども達も、無事で生き延びられる方法があったはずなのです。
私は常に、私と私の家族を守ろうとしてきました。国家は王家のものであり、民衆は王に従うべきです。私はそう信じ、王政を存続させることにのみ努力してきました。私の愛した人たち、私を愛してくれた人たちの力を借りて。しかし、全ては無に帰してしまいました。私はまだ幼く力ない子ども達を残して、逝かなければなりません。

私が犯した罪はそれほどに重いものだったのでしょうか。まだ母の腕の中にいて、安寧としていなければならない年の小さな息子を。これからの世に耐えるにはあまりに経験の少ない娘を、置いて・・母が逝かなければならないほどの、罪だったのでしょうか。

神よ、それが貴方の、私の人生に与えたもうた答えなのでしょうか。

私は夫ならぬ人を愛しました。私は生き延びるため、多くの人を欺きました。このような獄に繋がれるまで、人々が苦しんでいることを知ろうとしませんでした。それが死に値する罪だと、貴方がおっしゃるのならば。私の、私の愛した人達の罪は、私が負い。この首で贖いましょう。

もうすぐ夜が明けます。東向きの壁の、頭上高く穿たれた穴から陽が差し込むはずです。朝の光はわずかに金色がかっていて、私は彼女のことを思い起こします。すでにおぼろげな影でしかない、昔の日々の中で、彼女だけが・・・今でも鮮明に光を帯びています。

夏の夜の川のせせらぎ。舞い飛ぶ無数の蛍で発光した木。静かに微笑む彼女の横顔。

あの夢は幼かったあの子からの、彼女からの、そして・・・貴方からの祝福でした。私は恐れずに、貴方の元へいけるでしょう。どうか、愛する子ども達、遠い異国の地で私を案じていてくれる人。私が愛した全ての人たちに、貴方の祝福が授けられることを。

 

朝が来ました。私は立ち上がり、火をつけましょう。秋の高い空に昇る煙が、私の愛とともに、愛する人たちに届きますように。そして次の夏も・・川面に蛍が光りますように。永劫変わることのない、貴方の--恩寵の証しとして。

 

 

END