一遍の詩

天より 一条の光きたる

その当時、国では大半の人間に教育というものはなかった。ただ生まれついた場所で生き延びるための些少の知恵さえあればいい。しかし貴族の末端に生まれついた彼には、悲しいかな己の感情を明確にするための語彙が備わっていた。

_______比類なく溢れ出る美。
兵舎から出てくる時、一陣の強い風が吹き、長い金髪が揺れた。午後の薄い冬の光をはらんで、香りさえも漂ってくるようだ。彼は我知らず、一瞬見惚れていた。足を止め見つめていると、すぐ背後に背の高い男が現れる。彼女は振り返り、顔にかかった髪をはらう。そのままふたり話しながら、迎えの馬車へと乗り込んでいく。その光景を見ているアランは、胸に針が刺すような心地がした。

光を含んで揺れる髪、背後の男に振り返った瞬間輝いた、青く深い瞳。髪をはらう指先まで蕾の色に染まっている。会った当初から、その異様なまでの美しさには戸惑った。武力と権力だけの場所にどうしてこのような人間が、それも、女が。
直接剣を交えた時、その俊敏で隙のない動作に驚かされた。しなやかな身体に、男たちにも負けない力を持っている。それからは、気付かぬうちに彼女を目で追っていた。
やがて、目に見えないほどの変化が起こる。背後の従者に振り返る時、見上げて言葉を交わす時、そして馬車に乗り込む時。ふと彼女が見せる、伏し目がちの表情。言葉にならずに、何かを呟いているような唇を、彼は見ていた。小さな石が水面に残す波紋のように、彼の心に疑念が広がる。あのふたりは・・・。

会う者を驚愕させ、落ち着かなくさせる美しさ。見据える青い眼の透徹した強い光。彼は幼い頃読んだ詩の一編を思い出した。神は遍く地を光で満たし、雲間から差す光は織天使の剣となって降り注ぐ。神の剣を捧げ持つ天使、輝く胸元から美と力が溢れ・・・。彼は首を振り、酒を煽った。
目で追っていたからこそわかった、溢れ出る美しさに、艶やかさが加わった。従者を呼ぶその声すらも、時として甘く響く。誰にも悟られないよう、硬く秘めているふたりに気づくものはいない、彼以外。それを知るのが自分だけであることに、彼は苦しんだ。強い酒を飲んでも、喉が焼けるだけで酔えない。
神の剣を持ち、地に降りてきた天使は、人を_人間の男を愛するのだろうか。それが自分ではなく他の男だった時、報われなかった者はどうすればいい。

そうして、冷たい夏がやってきた。雨の多い日々に、鬱屈が溜まっていく。彼が意思とは反対に目で追ってしまう彼女は、降る雨に濡れそぼっていた。色の抜けた頬に髪が張りつく横顔は、壮絶に美しい。時折、誰に目にも届かないところで、背を丸め咳き込んでいることには気づいていた。従者の男も、何気ないふうを装って、壁に手を伝わせて歩いている。彼らが警護という名で民衆を締め出している議会の周りは、人々の怒りのこもった視線が渦巻いていた。
何故これほどまでに、自分たちは踏み付けにされるのだろうか。彼にはもう身内と呼べるものはおらず、日毎に増す騒乱に国すら危うい。そして、目で追う女は、他の男に愛を向けたまま病に侵されている。
彼はやまぬ雨を見上げ、天を仰いだ。神は、光は、何処へいったんだ。彼の嘆きは天に届かなかった。王は臣下を使い議会から人々を追い払った。彼は剣を手に取り走る。神の光が届かないなら、残されたのは剣だけだ。敵を探し、走る彼の背後に足音が迫った。手を掴まれ振り向くと、強い青い目が咎めていた。
_______神の剣を捧げ持つ、溢れ出る光_________
捕らえた冷たく細い手首とは対照的に、唇は熱かった。震えて柔らかい、愛しい女の唇。雨に濡れた花のような甘い香に酔う。どれほど強い酒を煽っても酔えなかったものを。逃げる唇を追う、触れる頬の冷たさに陶然となる。その髪を、その白い耳朶を、もっと・・・

殴られた衝撃で、濡れた地面に倒れ込む。怒りに燃えた隻眼が見下ろしていた。口の中に血の味がする。愚かさと罪の味。それからの混乱で仲間と共に投獄された夜、高く細い窓は月光さえも届かない。これで命尽きても、何を惜しむだろう。愛する女は見えない月ほどにも手が届かない。このまま獄中の暗闇で息絶えたとしても。
しかし、再び光は差した。解放され眩しさに目を細め歩く先には、遍く照らす光の女。

 

_______では、生きようではないか。ここに光がある。届かなくても、眩しさにくらんだとしても、光あるならば、生きよう。

 

そして彼は生きた。女もその夫も、仲間も死んでいったが、彼は生き続けた。小さな家の窓からは、海が見えた。凪いだ日には、陽の光が穏やかな海面に煌めく。国が荒び、人々が血を流し争っていても、いまだ光はあった。遍く、光が。

 

END