カテゴリー: NOVEL_AO
錠 あるいは閂 ー中編
錠 あるいは閂 ー前編
月の道
満月が夜の海を照らすと、此処ではない世界へ通じる道ができる。
「御伽話だ、昔の」
「どこで聞いたんだ?」
「さあ、どこだったのかな。まだこの館に来る前。故郷の・・村の」
「母上から?」
「そうかもしれない。母も俺も、海など見たことはなかったのに。寝物語に語る声を聴きながら考えていた。夜の海に輝く道・・・どこへ行くのだろうと」
「・・っアンドレ!」
「どうした?」
「いや・・今、一瞬」
「どうしてそんな悲しい顔をする。俺はここにいるだろう」
「アンドレ、お前はどこへも行ったりしないな」
「・・・そばにいるよ」
「本当に?」
「何処にも行ったりしない」
「約束して」
その後、お前は答えなかった。私を抱き寄せ、静かに髪を撫でていた。ひとつ残った瞳が、遠くを見つめていた。
どうして私が腕の中にいるのに、どうしてお前は黙って遠くを見て、このかけがえのない心臓の音がこれほど強いのに、どうして
どうして?
私を遺して逝ってしまうことを知っていたんだろう。
見たこともない景色、凪いだ暗い海面に揺れる月の光。お前はその道の先へと逝ってしまう。
私もいきたい、私も其処へ行きたい、連れていって。遺されたくはない、置いていかれるのは嫌。
だから行く、もうすぐだ。今空は青い、月の道は見えない。でも私は知っている、道の先にお前がいるから怖くはないよ。光が翳っていく、闇が訪れる、その向こうに望月が見える、お前の、微笑んだ・・その横顔。もうすぐだ・・・もうすぐ。